野駄舘屋敷

 八幡平市

南部藩の重臣中野吉兵衛正康の子元康の譜に「利直公(注・南部藩27代藩主)寛永元年(1624)12月家督、幼少によって旧地のうち肥爪村、高水寺村に2千石を賜う。同2年4月3日付御黒印あり。同6年(1629)郡山城御普請御用地に依り同紫波郡彦部村、赤沢村、岩手郡寄木村、北森村(現在の野駄村と思われる)、田頭村に替地を賜う。同年11月10日付御黒印有」と記されているが、中野氏は南部の一門で初代は九戸政実の弟弥五郎康実。天正14年(1586)、斯波御所の女婿(高田吉兵衛)であったが脱走し、南部氏がこれを岩手郡の中野城主に起用、以来中野吉兵衛と名乗るようになった。この中野氏は文禄、慶長中は志和郡片寄に居城し郡内統治の中堅となっていたが、慶長の末年から郡山城(紫波郡)に移住、郡山城は寛永6年から南部藩の直接の支配地となったため換地替えを命ぜられた。その中に寄木村、北森村を所有することとなったため、常駐ではなかったにしろ、量内管理監督のため寄木、北森を展望できるこの地に館屋敷を置き代理の家来を居住させたことにより、後世、「野駄館跡」と呼ばれるようになったと思われる。役場から南方へ約1キロにあり、花見時期には地域の人たちで賑わう。(駐車場あり)

野駄舘屋敷
地図

戻る