義経北行伝説

 普代村

普代村だけではないですが三陸地域には「義経伝説」が残っています。これは当然正史として認められている話ではありません。しかし伝説ほどロマンをかきたててくれるものもありません。「不行道」は漢文式に読むと「行かずの道」とか「行かざる道」と読みますが、普代村には実際この地割はありません。この地名の正しい地割は「鳥居」、「天拝坂」、「堤」となっています。しかし、このあたりは昔から「不行道」と呼ばれています。不行道の名の由来は、義経伝説のどの本にも取り上げられていますが、この部落までたどり着いた義経一行の一人が、向こうから来た牛追いの子供に「いかに童子この村里はなんと申す所ぞや」と尋ねたら、その子供は持っていた杖で道に「不行道」と書いて立ち去ったといいます。しかし、この時代牛追いの子供にこのような学があったとは思われません。「ふこうどうです」と言ったことに対し、一行の誰かが「ふこうどうとは不行道と書くか」とでも言ったのではないかとされています。不行道部落の中ほどの山に二つの祠があり、左の祠は昔から「藤九郎様」と呼ばれています。藤九郎とは頼朝の家臣・比企藤九郎藤原盛長であり、義経を追ってきたが、義経に同情し逃がしてやったので神に祭られたとされています。「藤九郎様」左上に清河羽黒神社があります。これは義経の家来の一人、清河の羽黒という山伏がここで亡くなり、それを祭ったとか、義経を追っ手から守った清河、羽黒、権現という三人の山伏が祭られているとも伝えられています。まだまだありますが、いずれにしても伝説は面白い。

義経北行伝説
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